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「最上川舟唄」は恋歌? 2015.03 |
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山形県の民謡「最上川舟唄」は、昭和11年(1936年)NHK仙台放送局の「最上川を下る」という番組企画で舟唄の紹介を頼まれた渡辺国俊氏(民謡研究家)が、後藤岩太郎氏(地元で評判の歌い手)とともに最上川の舟唄と呼べるものがないか調査したが見つからず、当時の「酒田追分」や「新内くずし」を元に「川の難所越えの船頭のかけ声」を合わせて作ったといわれています。
※参考:大江町ホームページ 最上川舟運文化「最上川舟唄」
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また、民謡は古来より歌い継がれた歌という概念からすれば、「最上川舟唄」は例外的な創作民謡ということになります。しかしながら、1950年代、作曲家の清水脩の「五つの日本民謡」という曲集に編まれるなどして、日本を代表する曲とまでいわれるようになりました。
「清水脩の最上川舟唄(男声合唱・混声合唱)は編曲というより完成度の高い合唱作品として、国内はもとより、来日する海外の合唱団にも日本を代表する民謡レパートリーとして演奏されている。」
※引用:ウィキペディア 最上川舟唄
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最上川舟唄は方言で綴られ、その内容は愛しい人を残して航海に出る船頭の恋歌に聞こえます。
発祥の地は米沢と酒田を結ぶ中継港として栄えた左沢(あてらざわ)。渡辺、後藤の両氏が在住する左
沢を出発する船頭をモデルにその胸中を織り込んだのか?粋な新内(花街)風の物語に仕立てたのか?
真の意味は作者のみぞ知るですが、歌詞の方言や地形名称が分かれば、当時の川を下る舟の様子を思
い浮かべて頂けるのではと、勝手な情景描写を綴ってみました。勝手な妄想ですのであしからず・・・。
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[正調 最上川舟唄] ※歌詞引用:大江町ホームページ「正調最上川舟唄全国大会」 |
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(ヨーエ サノ マッガショ エンヤ コラマーガセ
エエヤ エーエヤ エーエ エーエヤ エード ヨーエ サノ マッガショ エンヤコラマーガセ)
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酒田(さがだ)さ行(え)ぐさげ 達者(まめ)でろちゃ (ヨイト コラサノセー)
流行風邪(はやりかぜ)などひかねよに
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(エエヤ エーエヤ エーエ エーエヤ エード ヨーエ サノ マッガショ エンヤコラマーガセ) |
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股大根(まっかんだいご)の塩汁煮(しょっしるに) 塩(しんよ)しょぱくてくらわんにゃえちゃ |
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(エーエヤ エーエ エーエヤ エード ヨーエ サノ マッガショ エンヤコラマーガセー) |
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碁点(ごてん) 隼(はやぶさ) やれ三ヶの瀬(みがのせ)も (ヨイト コラサノセー)
達者(まめ)でくだったど頼むぞえ
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(エエヤ エーエヤ エーエ エーエヤ エード ヨーエ サノ マッガショ エンヤコラマーガセ) |
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あの女(へな)居(い)んねげりゃ 航海(こうがい)乗(ぬり)もすねがったちゃ |
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(エーエヤ エーエ エーエヤ エード ヨーエ サノ マッガショ エンヤコラマーガセー) |
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山背風(やませかぜ)だよ あきらめしゃんせ (ヨイト コラサノセー)
おれをうらむな風うらめ
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(エエヤ エーエヤ エーエ エーエヤ エード ヨーエ サノ マッガショ エンヤコラマーガセ) |
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あの女(へな)ためだ 何(な)んぼとっても足(た)らんこたんだ |
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(エエヤ エーエヤ エーエ エーエヤ エード ヨーエ サノ マッガショ エンヤコラマーガセ) |
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