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最上地方に関わる雑多なことを、あれやこれやと脈絡もなく綴りゆくページです。 |
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山と盆地の山形県 |
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1. 山と盆地の山形県 note1<山形県の地形> 2011.09/2015.08加筆 |
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山脈や半島の名前は知っていても、盆地の名前を知る人は少ないのではないでしょうか。盆地とは「周囲を山地に囲まれた、周辺よりも低く平らな地形」とされています。
日本の主な盆地70箇所余り、そのうち6箇所が山形県にあります。それだけ山も多い県ということです。 ※参考:ウイキペディア「盆地」
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山形県は、宮城県境の奥羽山脈、新潟県境の越後山脈に囲まれ、人の顔のような形をしています。山脈から連なる山々が6つの盆地と山裾を縫う最上川の流れを作り、最上川が日本海に注ぐ扇状地が庄内平野となりました。県内はこうした山々や盆地ごとに地域形成と文化を育んできました。 |
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●庄内平野
最上川と赤川の堆積作用で形成された庄内平野。
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●新庄盆地
四方を山地に囲まれ、東に奥羽山脈(神室連峰)西に出羽山地が連なる。
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●尾花沢盆地
東に奥羽山脈、西に出羽山脈、北の猿羽根峠が新庄盆地と隔てる。
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●山形盆地
地殻変動によって形成された、東西10〜20km、南北40kmの細長い構造盆地である。
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●上山盆地
奥羽山脈と朝日山地の谷間にある、とても小さい盆地である。
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●長井盆地
朝日岳と最上川に囲まれた細長い形の盆地で、小規模の丘陵を挟んで米沢盆地に隣接する。
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●米沢盆地
西は朝日山地、東は奥羽山脈、南は吾妻山系などに囲まれる。
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2018.04 ImageMap表示説明文を抜出 |
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また、この盆地内には「盆地断層帯」と呼ばれる活断層が多く存在しています。現段階の予測では30年内の発生確立は5%以下ですが、盆地断層帯というものがあることも知っておく必要がありそうです。 →地震調査研究推進本部ホームページ 山形県および周辺の主要活断層帯と海溝で起こる地震 |
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山が多いから盆地ができたのでしょう。山と盆地の山形県です。山形県に限らず、我が国がいかに山の多い国であるかが地形図を見ると改めて分かります。 →航空写真(Googleマップ) →3D風地図(Mapion) ※別ウインドウで開きます |
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<リンクサイトご紹介>
※別ウインドウで開きます
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<山形・最上の山々> |
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山形の山登りがもっと楽しくなる山についてのお役立ち情報サイト。
やまがた山
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山の写真、映画「劔岳・点の記」の題材となった測量三角点の写真なども。
山形・山岳展望山めぐり
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登山ルートと道行き写真、自生植物や展望写真など。
山形の山 裏通りON-LINE
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日本百名山をはじめ国内の色々な百選を紹介しているホームページ。
日本百選都道府県別データベース
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<最上川> |
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最上川情報の宝庫。最上川に関わった偉人や伝統的漁法なども紹介する「最上川の歴史・文化」のコーナーは雑学としても興味深い。
山形河川国道事務所
最上川電子大事典
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山形県や最上地方の山や川を紹介する多くのサイトがあります。興味を持たれた方は検索してみて下さい。 |
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1. 山と盆地の山形県 note2<山形県の主な山と川> 2011.09 |
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山形県のその多くの山々は昔から山岳信仰であがめられてきました。
信仰地として全国に知られる出羽三山(月山・湯殿山・羽黒山)をはじめ、その土地土地の山々もそこに暮らす人々の信仰の対象となっていたようです。昔は、山々で例祭や行者の修行などが行われたのでしょうが、現在ではその風習も薄れ、山に行くのは登山愛好家が主体になっているようです。
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また、山形県の河川は、県を縦断する最上川(延長229km、流域面積7,040km2)と庄内平野を流れる赤川(延長70km、流域面積857km2)が日本海に注ぐ二つの水系です。赤川は最上川の支川だったのですが、合流付近で頻発する洪水のため昭和2年(1927年)に砂丘を切り開き、直接日本海に放流する河川としたそうです。
二つの河川は支川や沢へとさかのぼり、ほぼ山形県全域の水を日本海へと運んでいます。
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<日本百名山> |
▲鳥海山(チョウカイサン)2,236m
日本百景、出羽富士と呼ばれる
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▲飯豊山(イイデサン)2,105m
日本百名山、飯豊連峰の主峰
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▲西吾妻山(ニシアズマヤマ)2,035m
うつくしま百名山、吾妻連峰の最高峰
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▲月山(ガッサン)1,984m
花の百名山、名水百選・水源の森百選
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▲大朝日岳(オオアサヒダケ)1,870m
朝日連峰の主峰
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▲蔵王山(ザオウサン)1,841m
火口湖の御釜や雪質のよいスキー場有名
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<日本二百名山> |
▲以東岳(イトウダケ)1,771m
タキタロウで有名な大鳥池がある |
▲御所山(ゴショザン)1,500m
別名船形山、奥羽山脈船形火山群の主峰
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▲神室山(カムロサン)1,365m
花の百名山、神室連峰の主峰、神室連峰は東北のミニアルプスとも呼ばれる
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<日本三百名山> |
▲祝瓶山(イワイガメヤマ)1,417m
東北のマッターホルンとも呼ばれる
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<河川> |
▲最上川(モガミガワ)延長229km
流域面積7,040km2・平均流量約437m3/秒、日本三大急流
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▲赤川(アカガワ)延長70km
流域面積857km2・平均流量約76m3/秒
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1. 山と盆地の山形県 note3<最上地方の主な山と川> 2011.09 |
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最上地方にも多くの山があります。新庄市と最上町の間に連なる神室連峰の主峰神室山は、古来から山岳信仰の修験の山として鳥海山と並び称され、同時に水や農業の神の山として敬われていた山です。神室山の山頂には、今でも人々が五穀豊穣を祈った石碑や祭事の跡と思われる場所が残るそうです。
修験の山だったことからか神室山には天狗が住むという伝説が今も伝えられ、新庄市のイメージキャラクター「かむてん」となって現代にその姿を現しています。
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また、最上地方の河川はすべて最上川の支川です。最上川全長229kmのうち約40km区間が最上地方を流れ、428ある支川のうち約4割にあたる170余りの河川が最上地方にあります。
山と山の間を流れる支川や沢の数で、最上地方がいかに山の多い地域かがお分かり頂けると思います。そして、その支川や沢の一つ一つにもまた、いわれや言い伝えが残ります。
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こうした最上地方の山や川そして土地の名称などには、その一つ一つにさまざまな由来や伝説が残され、土地への愛着や尊敬と共に語りつがれて現代にロマンを伝えてくれています。 |
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■真室川 延長48km
真室川音頭で有名な真室川町の名称由来の川との説も
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■鮭川 延長48km
庭月の灯篭流しが有名
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■最上小国川 延長39km
アユ釣りやサクラマスの遡上で有名な清流
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■銅山川 延長26km
月山を始め出羽山地の湧水の豊富な水量の暴れ川
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■指首野川 延長11km
新庄の歴史や生態系に配慮した整備が行われる親水河川
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■最上白川 延長9km
フライやルアーのフィッシングで人気が高い
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■絹出川 延長4km
渓流釣りで有名
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▲丁岳 1,366m
東北百名山
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▲甑山 981m
東北百名山
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▲水晶森 1,097m
イヌワシやクマタカ生息
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▲杢蔵山 1,026m
新庄市街の正面に位置する市民にとって市の象徴的な山
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▲加無山 997m
多くの巨木や猛禽類など貴重な生態系が残されている
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また、最上地方は山形県の名山、月山・鳥海山を一望できる地で、それぞれの地域から眺める山の姿も変わります。当社からも周囲の建物が多くなりましたが、季節ごとの月山・鳥海山が望めます。 |
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※画像クリックで拡大します
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1. 山と盆地の山形県 note4<最上地方の巨木> 2012.04 |
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最上地方には巨木も多く存在します。山深く押し入ればまだまだ多くの巨木と出会うことができるでしょうが、車で行ける場所も多く、ドライブ気分で見て歩きできるのも最上地方の巨木の特徴です。
文化財や天然記念物に指定される多くの樹木がありますが、その中から代表的な最上地方の巨木をご紹介します。
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※下記の巨木名称クリックで、最上地域観光協議会ホームページ 巨木の里探訪 の巨木写真ページにリンクします。 2018.04 |
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●最上地方各地の主な巨木・名木 |
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1. 山と盆地の山形県 note5<クマが出没する山形県> 2013.12 |
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山形県の盆地を囲み連なる山々。山形県はクマが毎年多く目撃されるクマの生息地です。
クマは、北海道では約55%の地域、本州では約45%の地域に生息しているといわれ、種類は北海道に生息するヒグマと本州以南に生息するツキノワグマの2種類で、山形県に生息するのはツキノワグマです。
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全国のクマ個体総数は不明とのことですが、人が立ち入れない深山幽谷まで含めると相当数が生息していると思われます。
ただ、九州のツキノワグマは絶滅した可能性が高く、四国では数十頭以下といわれており、特に生息地が周囲と孤立している九州・四国・紀伊半島・東西の中国地方・下北半島の6地域では、「絶滅の恐れのある地域個体群」として環境省のレッドリストに掲載されています。
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ツキノワグマはなわばりをもたず、行動圏はほぼ決まっているらしいのですが、食べ物がなくなるとオスで平均100平方キロメートル(距離10km・幅10kmに相当する範囲)、メスで平均40平方キロメートルの広い範囲を行動するそうです。
山脈が連なる東北地方や、盆地を囲む山々が連なる山形県は、峰々を伝って縦横に移動することができ、繁殖もしており、人間に危害や農作物に被害を与える恐れのあるクマの毎年の捕殺数から見ても相当数が生息すると思われます。
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毎年のクマ目撃や捕獲数は北海道が群を抜いていますが、本州では東北地方そして東北から山脈のつづく中部地方が全国の上位を占めています。捕獲数が多いのは、北海道、長野県、福島県、秋田県、岩手県、山形県、群馬県、新潟県、青森県、富山県、宮城県で、全国で年間およそ1,500〜4,000頭が捕獲されています。
※捕獲最新情報 →環境省ホームページ クマに関する各種情報・取組 2018.04
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さて、山奥を棲みかとするクマが人里にまで現れるようになったのは、
(1)里山の荒廃や開発で緩衝地帯がなくなり、山を下りるとすぐ人里の環境になってしまった。(2)林道や農道などが整備されて人里に来やすくなり、人里では楽に食べ物にありつけることを学習した。(3)過疎化や廃村などで人影や物音が薄れ、建物などへの恐怖心も薄れた。などなど、他にも要因として多くのことがいわれています。
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元々人里と境界線をもって暮らしていたクマや他の動物からすれば、開発行為や山林の手入れ放棄などで、動物の生活環境を変えたのは人間だろうといわれるかもしれません。
人が手を入れて森が育つ如く、人が入らなくなると森が荒れ、うっそうとして日も差さず木の実や山菜も採れなくなる。ナラ枯れやブナ枯れが発生し始めた平成22年(2010)から人里付近での目撃情報が増えました。
クマは雑食で何でも食べるといわれますが、食料不足を補うために人里にまで下りざるを得なかったのかもしれません。
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山形県では人が襲われる事故もありました。郊外の道路や学校の校庭に現れることもあります。
家の中に入って食べ物をアサっていたり、バーベキューをしていたらすぐそばにいたという話も聞きました。一度味を覚えると、またやってくるそうです。
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本州に棲息するのはツキノワグマですが、ツキノワグマは警戒心が強く、人間の気配を察知して出会いを避けていると考えられています。
山菜採りやキノコ採りなど山に入る人も多い最上地方。鈴やラジオなど音を出して人間の存在を知らせ、クマとの出会いを自己防衛することが事故に遭わない第一歩かもしれません。
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<リンクサイトご紹介>
※別ウインドウで開きます
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<山形・最上の方言> |
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アクセントやイントネーションや鼻濁音など、方言を地元人と同じように話すのは難しくもあり楽しくもあるのですが、相手のいうことが理解できたり、話が伝わったりしたときはうれしいものです。山形県や最上地方の方言に興味を持たれた方は他のサイトも検索してみて下さい。 |
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山形県のお国なまり |
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2. 山形県のお国なまり note1<方言(ほうげん)は宝言(ほうげん)> 2011.09 |
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山形県には、まだ多くの方言が残りますが、昔ながらの方言を使う人も理解できる人も徐々に減っています。方言は恥ずかしいとされ、標準語が日本の公用語として教育の場で推進されてきたためでしょうか。40〜50年ほど前は小学校の授業の一環で標準語の学習があったと聞きました。 |
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テレビの普及と共に子供たちから方言が消え、今の中高年者でさえ土地の昔言葉が分からないこともままあるようになりました。
近年「方言は宝言だ」といわれ、地域の宝・財産として見直そうとする気風もあるようです。
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さて、山形県は、盆地を囲む山に加えて冬は豪雪で行き来が制限されることもあったためか、地域ごとの文化もやや異りながら発展したようです。そのためか、最上地方の中でもひと山越えるたびに微妙に語尾やイントネーションが違ったりします。
山形弁(方言)は、大きく置賜弁・村山弁・新庄弁・庄内弁の4つに分けられるといわれます。「そうです」を「んだ」と言いますが、地域によって語尾が特徴的です。
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置賜弁:「んだごで」
村山弁:「んだず」「んだべした」
新庄弁:「んだにゃー」「んだねゃー」
庄内弁:「んだのー」
これは地域の代表的な言葉のイメージであり、新庄を含む最上地方では「んだにゃー」「んだべ」「んだず」「んだねゃ」「んです」「んだっす」などが使われます。相づちの「そうそう」は「んだんだ」です。
最も特徴的な新庄弁といわれた語尾に「じゅー」をつける「んだじゅー」も、ほとんど聞かなくなりました。「じゅー」は「重々」が変化したもので京都文化が伝わったものといわれます。他の町村に行くとすぐに新庄人だと知れるほどでした。
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土地土地で変わるお国情緒、地域特有文化の方言を”宝言”として使い続けて残していきたいものです。 |
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<リンクサイトご紹介>
※別ウインドウで開きます
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<藤沢周平記念館> |
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山形県鶴岡市出身の作家藤沢周平の功績を記念して建てられた。
鶴岡市立藤沢周平記念館
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2. 山形県のお国なまり note2<藤沢周平と庄内弁> 2011.09 |
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山形県鶴岡市出身の小説家藤沢周平は、城下町である鶴岡市がモデルであるといわれる海坂(うなさか)藩を舞台にした作品を多く残しました。「たそがれ清兵衛」「隠し剣鬼の爪」「蝉しぐれ」「武士の一分」「山桜」、近年では「小川の辺」・・・。 |
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数多く映画化されていますが、この中のいくつかの映画は話し言葉が庄内弁で、語尾の
「〜だの」「〜でがんす」が特徴的でした。
「がんす」は、昔の庄内地方の武家言葉だったらしいのですが、もちろん今では庄内や
県内でもこのような言葉を耳にすることもなくなりました。
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映画のセリフ、「がんす」がどこの言葉か興味をもたれた方も多かったと聞きました。
「そうです」を「そうでがんす・・」と言いかえてみる。言葉が暖かになったような気がしました。
方言のぬくもりでしょうか・・・。
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<日本語は難しい !?> |
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「日本語の凄さが凝縮された文章」というツイートを見つけました。その文章が『3月1日は日曜日で祝日、晴れの日でした』というもの。
エーなんで?と思ったのですが、なんと「日」の読み方が全部異なるのです。
一つの語をいくつにも読み分け、読みと共に言葉の意味合いが微妙に変る。思ってみれば日本語は難しい !?
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2. 山形県のお国なまり note3<山形の方言番付> 2017.04 |
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東北地方の方言は東北弁といわれ、東北弁には東北全域で通じる「方言の共通語」ともいうべき言葉がほとんどと思います。「けー(食え)、くー(食う)」「どさ(何処へ)、ゆさ(湯に)」などが代表例でしょう。地域によって訛り(なまり)や語尾変化などに差異はあるでしょうが、まったく通じないということはないと思います。 |
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山形弁は、当地の新庄弁の他に置賜弁・村山弁・庄内弁の4つに大別されていますが、他地域に行くとイントネーションや訛りなど微妙な発音の違いは感じますが、新庄弁で喋っても会話に不自由することはありません。ところが、たまに言葉(単語)そのものが分からないことがあります。そんなことをきっかけに調べてみたら、意外と身近な言葉にそんな方言がありました。 |
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驚いた
(びっくりした)
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恥ずかしい
(みっともない)
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新庄弁 |
どでした |
さだげね |
置賜弁(米沢弁) |
うだでくて |
しようしい |
山形弁(村山弁) |
たまげだ |
めくさえ |
庄内弁(酒田弁) |
おぼげだ |
しよす、しよし |
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「驚いた」「恥ずかしい」の状態や程度にいくらかの差はあるでしょうが、隣接する地域でこうも似ても似つかない言葉かと、改めて感じ入ったりします。 |
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ところで、若い人たちが使わなくなり薄れゆく方言を、改めて地域文化として次世代に引継ごうという動きも増えているように感じます。言葉が面白い、響きに癒されるなど理由はいろいろあるようですが、「方言集」や「方言番付」の手ぬぐいや暖簾などがお土産品の定番になっているように、地域の文化として認められていることは嬉しいことです。
県内番付の横綱をご紹介しましょう。
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東横綱 |
西横綱 |
新庄弁 |
さだげね
(恥ずかしい、みっともない)
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はいっとう
(ごめんください)
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置賜弁(米沢弁) |
おしょうしな
(ありがとう)
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そんぴん
(へそまがり、ひねくれ、偏屈)
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山形弁(村山弁) |
どっかどする
(ほっとする)
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やばつぇ
(濡れて冷たい)
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庄内弁(酒田弁) |
もっけだのー
(本当にありがとう)
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だだちゃ
(おとうさん)
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※引用資料:「新・新庄弁番付表(新庄藩校「明倫堂」受講者一同)」「米沢方言番付(米澤河童會)」「村山方言番
付(村山市立戸沢小学校方言研究会)」「酒田は番付なく『酒田の備忘録/酒田の方言集』から勝手に選択」 |
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最上地方の義経伝説 |
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3. 最上地方の義経伝説 note1<色濃く残る義経伝説> 2011.09 |
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鎌倉の世、兄源頼朝から追われた義経は、武蔵坊弁慶などのわずかな家来、そして身重の奥方(北の方)と共に奥州藤原氏の平泉(岩手県)を目指して逃亡の旅を続けたといわれます。
義経主従が立ち寄った伝説は各地に残ります。当時のことですから追っ手を惑わすために義経の影武者の一行が別々のルートで逃亡を計略したのかもしれません。
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最上地方にも、義経一行がこの地を通り隣国の藤原氏の領内(宮城県)に入ったという伝説が色濃く残っています。
「義経記」の「判官北国落の事」に山伏として羽黒山に向かうこと、「亀割山にて御産の事」に北の方の亀割峠での出産のことが記されており、伝説は真実味を帯びてきます。
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最上地方の各市町村ホームページや各サイトでは、立ち寄った先々での逸話、義経や弁慶に由来する地名などが紹介されています。
「義経主従はこの地を通って奥州平泉に逃れたに違いない」。最上地方では、知られざる義経の足跡が今でも大切に守られ信じられています。
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3. 最上地方の義経伝説 note2<推理!義経逃亡ルート> 2011.09 |
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最上地方の義経逃亡ルートの一つは、庄内平田町から金山町に入り、雄勝峠を越えて秋田に抜けたのでは、という説です。
このルートで興味深いのは「吉次山」に隠していた軍資金を取りに立ち寄ったのではといわれることです。「吉次山」は全国各地の金の採掘で奥州平泉の藤原氏を支えた「吉次信隆」所有の金山で、義経のための軍資金を隠していたといわれ、義経も牛若丸の頃に訪れているといわれています。
このルートには、世話になったお礼に弁慶が焼畑を開いた山が弁慶山と呼ばれ、真室川小国村で宿泊した家にはお礼に置いた大日様の掛け軸が残ると言い伝えられています。
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もう一つは、「義経記」に記される、羽黒山を詣でて清川(庄内町)に至り、最上川を舟で本合海(新庄市)まで上り最上地方に入ったとされる説で、こちらの方が有力とされています。
「義経記」の「三の口の関通り給ふ事」で、平泉への道順を尋ねたところ「舟形から南下して塩竃・松島を経て平泉に向かう横道のルートより、舟形から亀割山を超えて鳴子・平泉と目指すルートが三日早く着く。」と教えられますが、罠ではないかと疑います。義経が塩竈に寄ろうとしたのは、軍資金の頼みとする吉次信隆が石巻に住んでいたためかもしれません。※下項「雄勝ルートと亀割ルート」参照
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そして義経は決断します。「直江の津にて笈探されし事」によれば、「三日も余計にかかる塩竈経由の道より、最上川を渡り亀割山を越えればすぐ平泉。一日も早く平泉に着くため亀割山に向かう」と。
義経一行は、本合海で舟を降り、亀割越えを目指して舟形に進みます。最上川を渡る道筋には、道を間違えて一行とはぐれた弁慶が義経と出会った「巡り合い(現在の実栗屋・なまってミクリヤとの説)」、最上川を渡る橋が見つからず弁慶の笈(オイ・経文などを入れる箱)を橋にして渡った「笈渡(現在の折渡・オリワタリ)」などの地名が残ります。
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亀割ルートと塩釜ルート ※画像クリックで拡大
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ただ、日ごとに身重となる奥方(北の方)を連れての旅であり、義経一行があえて険しい亀割越えを最初から選んだとは考えにくい面もあり、亀割山の裾となる最上小国川沿いの平坦なルートを選んだ可能性があります。最上小国川沿いに進んで行くも、舟形の隣に一関(イチノセキ)という村のあることが分かり、関所であれば見とがめられると心配し、やむなく亀割越えのルートを選ばざるを得なかったとの憶測が存在するからです。 |
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<推理!義経逃亡 雄勝ルートと亀割ルート> |
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▼弁慶山 庄内から山越えで真室川に入り、弁慶が焼畑を開いたのでこの名がついたという。 |
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▼小国村 義経が一泊のお礼に置いた大日如来の掛軸が残るという。 |
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▼吉次山 義経が牛若丸の頃訪れた吉次信隆の金山。軍資金が隠されており立ち寄ったとの説も。 |
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▲腹巻岩 弁慶が干した腹巻きの跡が岩についた。 |
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▲千人堂 義経の家来の一人が離別してここで修行し、後に仙人となり祀られたお堂。 |
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▲沓喰 義経の乗っていた馬が疲れて泡を吹き、くつわを洗った。 |
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▲金打坊 弁慶が羽黒山からもらった鐘撞棒をここで捨てた。カネツキボウの地名から変化。 |
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▲本合海 義経主従はここで舟を下り、陸路へと進んだ。 |
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▲獅子口 弁慶が長刀で足を洗う水たまりを造ったときにできた?獅子のような奇岩がある。 |
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▲実栗屋 道を間違えてはぐれた弁慶が義経と出会った場所。「巡り会い」の地名から変化。 |
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▲折渡 橋がなかったので弁慶が背負っている笈を橋にして渡った。オイワタリの地名から変化。 |
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▲一関 関所と思い、見とがめられる心配から、この村を避けて山越えにルートをとった。 |
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▲鳥越 この地にさしかかったとき一番鶏が鳴いたのでこの名に。 |
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▲大平 この地の家から粟3升を借りたという。証文は100余年前の火事で焼失した。 |
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▲判官神社 義経主従は疲れの余りここで一休みした。この村を休場(ヤスンバ)と呼ぶようになり、神社を建て義経を祀った。義経の書付けがあったという。 |
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▲弁慶の切石山 亀割峠の道をふさぐ大岩を弁慶が長刀で切ったという岩山がある。 |
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▲亀割山 山の峠を越えた所で義経の奥方・北の方が急に産気づき亀若丸を生んだ。安産の神が祀られている。 |
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▲薬研湯 産湯を探した弁慶が岩を割って温泉を見つけた。弁慶の長刀の名「せみ丸」にちなみこの地を瀬見と呼ぶようになった。 |
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▲弁慶の楊子柳 弁慶が出立するとき、楊子としていた柳の小枝を道端に刺したのが大木になったという。 |
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▲月楯の弁天様 北の方が難産で苦しんだとき無事な出産を祈願した神社。 |
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▲けはい坂義経桜 義経が鎌倉の地の「けはい坂」と同じ名と知って偲んで泣き、一本の桜を植えたという。 |
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▲尿前 藤原氏の領地に入って安堵した北の方が、人前も気にせず放尿したのでこの名がついたといわれる。 |
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2018.04 ImageMap表示説明文を抜出 |
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義経や豪快な弁慶が街道や人目を避けて彷徨した最上地方に伝わる義経伝説。亀割山の北の方お産の場所、産湯を求めた瀬見温泉の発見など、亀割を越えた瀬見やその先々の道々にも義経や弁慶にまつわる地名が存在し語り継がれています。
幾つかの文献を参考に義経主従が立ち寄った最上ルートを妄想推理してみた次第です。
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最上地方のシンボル |
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4. 最上地方のシンボル note1<最上市町村の制定シンボル> 2012.04 |
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日常的な話題に上ることもなく、改めて聞かれたりすると考え込んでしまいますが、国や県をはじめ全国の市町村のほとんどが、その地域を代表する花や樹木や鳥などをシンボルとして定めています。
もしかしたら将来は、スカイツリーなどの建造物も我が町のシンボルに加えられることになったり、環境破壊や生態系の変化でシンボルが土地から消えてしまうことになったりするかもしれません。我が町のシンボル、なくさないようにしたいものです。
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※アンダーバーは紹介サイトリンク。 別ウインドウで開きます。 |
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4. 最上地方のシンボル note2<二つの山形県民の歌> 2012.04 |
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最上地方というより、山形県のシンボルでしょう。
昭和天皇御製の歌「最上川」が、昭和57年(1982)に県民の歌に制定されたことは本サイトの”最上地方と最上川”山形県民の歌「最上川」で紹介しました。
山形県にはもう一つ県民の歌と呼べる歌があります。制定が全国でも珍しい、昭和23年(1948)に制定された「山形県スポーツ県民歌・月山の雪」です。
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『山形県スポーツ県民歌・月山の雪』 作詞:西條八十、作曲:古関祐而、歌:藤山一郎 |
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山形県では、最近の小中学校や学生が「スポーツ県民歌」を歌わないことに驚き、県民の歌「最上川」と共に「スポーツ県民歌」を歌おうと普及PRに努めています。
実は、この話を聞いて少々驚きました。数十年前までは最上地方のみならず運動会やスポーツ大会の開会式でよく歌われた歌で、当時を過ごした中高年の人は今でも口をついて歌が出てくるでしょう。
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普及PRを始めた頃、著作権許諾の関係で「スポーツ県民歌」が使用できない時期がありましたが、今は山形県のホームページで公開されており嬉しい限りです。 →山形県ホームページ 山形県スポーツ県民歌「月山の雪」 ※別ウインドウで開きます 2018.04 |
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この「スポーツ県民歌」は、サッカーJリーグチーム「モンテディオ山形」サポーターの勝ち鬨の歌(替え歌)としても歌われて愛されています。
歌詞に時代は感じますが、山形県の歌として元気あふれる子どもたちの「スポーツ県民歌」の歌声を今また県内に響かせてほしいと思います。
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<リンクサイトご紹介>
※別ウインドウで開きます
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<山形の近代化産業遺産> |
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わが国産業の近代化を支えた橋やトンネル、建築物など、経済産業省が認定する26の山形県の近代化産業遺産群の紹介。今だ現役で活躍する国内最古の鉄道橋も山形県にありました。 |
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山形県ホームページ
山形県の近代化産業遺産群 2018.04
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<山形景観物語> |
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私をそこに連れてってー!山形県内のおすすめビューポイント! |
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山形県ホームページ
やまがた景観物語 2018.04 |
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4. 最上地方のシンボル note3<自然景観と遺産> 2013.08 |
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山形県は山や河川が多い地であることは紹介しましたが、自然が作り出した景観も各地域のシンボルとして多くの人の目を楽しませています。 |
トトロの木(鮭川村の巨木「小
杉の大杉」) 出典:山形県景
観条例リーフレット |
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このような各市町村のシンボリック的な景観を掘り起し、景観回廊として多くの人に知ってもらうため、山形県は景観づくりを契機とした地域づくり、まちづくり行政を進めています。
景観回廊に登録できるものには、眺望景観資産・景観重要建造物・景観重要樹木があります。それぞれに指定されているものはまだ少ないのですが、将来は県内各地域に景観回廊ができるものと思います。
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●眺望景観資産指定 |
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第1号(H22.3.10) 創造の森からの庄内平野の眺め(鶴岡市)
第2号(H23.3.17) 下小松古墳群からの米沢盆地の眺め(川西町)
第3号(H24.3.16) ふれあい展望台からの山形市街地とそれをとりまく山々の眺め(山形市)
第4号(H25.3.19) 舟形若あゆ温泉からの山河と里の眺め(舟形町)
第5号(H26.3.07) 花咲山展望台からの上山市街地とそれをとりまく山々の眺め(上山市)
第6号(H27.3.17) 大山公園〜尾浦八景からの自然と市街地と庄内平野をとりまく山々の眺め
(鶴岡市)
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●景観重要構造物指定 |
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第1号(H21.3.17) 旧最上橋(寒河江市)
第2号(H25.3.19) 最上白河砂防堰堤(最上町)
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●景観重要樹木指定 |
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第1号(H21.3.17) 万歳の松(寒河江市)H22.3.31県指定解除。H22.4.1米沢市指定景観重要樹木 |
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※出典:山形県ホームページ 山形の景観(画像の紹介あり)2018.04 |
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4. 最上地方のシンボル note4<最上公園の心字池> 2013.10 |
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新庄藩の城址・最上公園の正門を入るとすぐ右側に心字池があり、季節によって変わる木々の色を水面に映しています。
心字池とは『心』の字を形どった池で、庭園や寺社境内などに宗教的な意味合いで作られるものも多いといわれ、最上公園の心字池は、高名な造園家・都市計画家の「折下吉延(おりしもよしのぶ)」が修景工事を監修しました。
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※画像クリックで拡大します。
▲最上公園心字池景観(下流側)
▲最上公園心字池景観(上流側)
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折下家は代々新庄藩主戸沢家の家臣で、明治4年の廃藩置県後の明治14年、吉延の父は再び戸沢家に仕えることとなり、身重の妻と共に新庄から戸沢子爵邸(東京都麻布、江戸時代の新庄藩上屋敷)に移り住み、吉延はそこで生まれ育ちました。 |
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吉延は東京帝国大学を卒業して官庁技師となり、やがて造園家・都市計画家として名声を得るようになりました。
特に造園家としての業績は著しいといわれ、日本庭園の優雅さに洋風を折衷する吉延の手法は、日本の造園事業に全く新しいデザインを実現したといわれます。
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吉延は、1923(大正12)年の関東大震災の後、復興都市計画のうちで最も重要とされた東京・浜松町公園、隅田公園、錦糸町公園、横浜・山下公園の新設に手腕を発揮しました。数多く手がけた中でも明治神宮の表参道のケヤキ並木や神宮外苑の銀杏並木がよく知られています。 |
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造園家としての手腕を買われて、1927(昭和2)年に郷里・新庄市の戊辰戦争で焼失した新庄城址の公園化計画にあたり、心字池修景工事を監修し1930(昭和5)年に完成させました。 |
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最上公園の『心字池』は、新庄藩の家臣の家柄であった縁から、日本でも高名な造園家・折下吉延が手掛けた日本でも稀有な地方公園のひとつなのです。 |
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地図で の字が見えるでしょうか!? |
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心字池は、行書体の『心』の字を表現しているといわれています。どんな『心』が書かれているか、地図で見ると分かるでしょうか!? →最上公園の『心字池』(Googleマップ) |
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<リンクサイトご紹介>
※別ウインドウで開きます
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<山形県そば情報> |
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最上地方のそば店や名物・名所の紹介。新庄・もがみそば街道協議会公式ホームページ
そばあい
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4. 最上地方のシンボル note5<ラーメンとそば> 2014.10 2018.05改 |
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山形県がラーメン外食費用全国1位ということをご存知でしょうか?
総務省の家計調査2008〜2012(平成24)年の平均値で、一世帯当たりのラーメン外食費用が12,497円。2位は福島県11,173円、3位が栃木県9,878円、全国平均5,572円だそうです。※出典:都道府県別統計とランキングで見る県民性「ラーメン外食費用」 ←最新統計はこちらから 2018.05
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山形県のラーメン外食全国1位については、「他に娯楽施設がなくラーメン食べに行くぐらいしか楽しみがない」などと揶揄する声もあるようですが、以外にも山形県はラーメン店の激戦区でもあります。
2013(平成25)年の集計では、人口10万人あたりに対するラーメン店の舗数が、山形県70.92軒、2位栃木県51.86軒、3位新潟県44.87軒、全国平均が27.71軒ですから、人口比率に対するラーメン店の多さが分かって頂けると思います。※出典:都道府県別統計とランキングで見る県民性「ラーメン店舗数」 ←最新統計はこちらから 2018.05
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山形県といえば”冷たいラーメン”発祥の地らしく、独自性を出したラーメン店や麺好きが多いことも確かです。山形県のラーメンは隠れた自慢でもあります。
また、最上地方の名物ラーメンは”鶏モツラーメン”、店によっては”スタミナラーメン”と書いてあるところもあります。雪国らしい濃い味ですが、当地においでの際はぜひご賞味ください。
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さて、ラーメンもさることながら、そば(蕎麦)も山形県が大きく誇れる食の一つです。
山形県のそばの作付け面積は全国でも上位で、その中で最上地方は県内有数の栽培地です。最上地方で栽培されるのは全体的に「最上早生」という品種です。 白く小さなそばの花は最上地方のシンボルの一つになっていくかもしれません。
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▲新庄市のそば畑
※画像クリックで拡大します。
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▲山形県のそばの生産状況 ※画像クリックで拡大します。
※出典:「東北のそば」東北農政局 生産部園芸特産課 平成29年8月
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腰の強い山形のそばを求めて県内はもとより、他県からも多くのそば好きが訪れます。
挽き方や打ち方が変れば、店ごとにのど越しや味も変わる。当地のソバが自慢と、山形県には17の”そば街道”があり、加盟店は200軒を数えます。
収穫したての”新そば”、大寒の冷水に浸した甘みが引き立つ”寒ざらしそば”。山形県においでになる機会がありましたら、山形のそばのコシとのど越しを是非ご賞味ください。
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山形県そば街道 (17街道、加盟約200店舗)
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4. 最上地方のシンボル note6<路上の絵画マンホール蓋> 2017.04 |
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今、マンホールの蓋が静かなブームのようです。市町村の花木鳥や漫画をモチーフにしたものなど、日本のマンホール蓋はデザイン性が高く、様々な図柄が路上に散りばめられた絵画としてコレクションの対象になっているようです。
多くの市町村でマンホール蓋の情報が記された「マンホールカード」を配布したり、魚拓ならぬ「マンホール拓」の展示会、「マンホール巡り」や「マンホールサミット」などが開催されたりしているようで、「日本マンホール蓋学会」まであるようです。
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また、平成13年(2001年)に登場した「都型・標準マンホール蓋」には設置位置が分かる記号が記され、これを地図上の座標で見ることのできる「マンホールクラスタ」を作成する人まで現れたとか。
また、観光案内情報サイトが開く「QRコード付きマンホール」や、スマホをかざすと広告などの動画が見られる「ARマンホール」と、マンホールの蓋も進化しているようです。
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最上地方の各市町村も数種類のデザインのマンホール蓋を設置していますが、その代表的なものをご紹介します。他のデザインも興味のある方は「日本マンホール蓋学会」を訪問してみてください。 |
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新庄市 |
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金山町 |
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真室川町 |
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鮭川村 |
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戸沢村 |
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大蔵村 |
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※画像クリックで拡大
出典:日本マンホール蓋学会
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舟形町 |
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最上町 |
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さて、有名な雑学ですが、マンホールの蓋はなぜ丸い?もちろん落ちていかないようにですね。四角だとややもすると落下してしまうことがある。深いマンホールで蓋を落としたら大変です。円形だと斜めにしても縦にしても落下する心配がない。これは、広口瓶の蓋などで確かめることができます。 |
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最上地方の地名 |
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5. 最上地方の地名 note1<最上市町村名の由来> 2013.08 |
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平成の大合併により多くの地域で旧来からなじんできた町名が消えました。最上地方も幕末の頃は出羽国新庄藩の領地で87の村々があったそうです。その後の合併で村は70余りとなり、明治22年(1889年)明治の大合併の町村制施行で1町15村に統合されました。そして、昭和31年(1956年)昭和の大合併で現在の1市4町3村となりました。
居住人口の減少と過疎化もあるのでしょうが、合併のたびに消えゆく旧町名を留めるために、合併前の最上地方にさかのぼってみました。
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明治22年の大合併の町村名(黒文字)と現在の市町村名 |
※参考
・ウィキペディア「最上郡」
・データと雑学で遊ぼう・都道府県市区町村「市制町村制施行時の情報 山形県」
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平成の大合併
平成11年(1999)
1市・4町・3村
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昭和の大合併
昭和31年(1956)
1市・4町・3村
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明治の大合併
明治22年(1889)
1町・15村
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明治の大合併で合併された存在してきた町村
2町・72村
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新庄市 |
新庄市 |
新庄町 |
小田島町、沼田町、五日町村、十日町村、金沢町村、飛
田村 |
萩野村 |
泉田村、萩野村 |
稲舟村 |
鳥越村、松本村、仁間村、福田村、角沢村 |
八向村 |
本合海村、升形村 |
金山町 |
金山町 |
金山村 |
金山町村、有屋村、下野明村、安沢村、上台村、山崎
村、中田村、朴山村、飛森村、漆野村、谷口銀山村 |
真室川町 |
真室川町 |
真室川村 |
新町村、内町村、木ノ下村、川ノ内村、平岡村 |
及位村 |
及位村、大滝村、釜淵村 |
安楽城村 |
大沢村、差首鍋村 |
鮭川村 |
鮭川村 |
鮭川村 |
川口村、向居村、佐渡村、中渡村 |
豊里村 |
京塚村、庭月村、曲川村、石名坂村 |
戸沢村 |
戸沢村 |
戸沢村 |
岩清水村、角川村、名高村、津谷村、神田村、松坂村 |
古口村 |
古口町村、蔵岡村、角川村 |
大蔵村 |
大蔵村 |
大蔵村 |
清水町村、合海町村、南山村、赤松村 |
舟形町 |
舟形町 |
舟形村 |
舟形町村、長沢村、長者原村、富田村、堀ノ内村 |
最上町 |
最上町 |
東小国村 |
東法田村、向町村、満沢村、本城村、黒沢村、富沢村、
堺田村 |
西小国村 |
大堀村、志茂村、法田村、若宮村、月楯村 |
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2018.04 ImageMap表示説明文を抜出 |
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かつての平成の大合併では、新しい市や町の名前が公募や住民投票で決定されたようですが、昔は誰が名前を付けたのでしょうか。東北にはアイヌ語に由来する地名も多くあるようですが、先人たちのその土地の特徴を捉え区別する名づけの妙は実に感服するばかりです。
地図を開いて地名を眺めていると、その昔の地形や町の様子に思いをはせることができます。何気なく使っている地名にも古来への想像をかきたてるロマンがあります。また、その由来を探ることは、地域のルーツや伝説をひもとくことになるかもしれません。
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と、そんな大それた考えはないにしろ、当地最上地方の市町村名の由来を探ってみました。由来は諸説あるかもしれませんが、その一説として紹介します。 |
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●新庄(しんじょう)市の地名の由来
元々の城下町だった現沼田町周辺の荘園を「本荘」、新たに開発された荘園を「新荘」と呼び、新荘に領主の城が移転新築されて新たな城下町として発展した「新荘」が地名となった説・・・。新築された領主の城が「新庄城」と呼ばれたために「新庄」を地名とした説・・・。いずれにしても、まちの起りにまつわるようです。本荘や新庄は他の地域にも見られる地名です。
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●金山(かねやま)町の地名の由来
金山は鉱山の意味で、谷口銀山があったために一帯がそう呼ばれたという説・・・。当地では金でも銅でも鉱山は「かねやま」と呼んでいたようです。金山と言う地名は他の地域にも見られる地名です。
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●真室川(まむろがわ)町の地名の由来
アイヌ語のマ(泳ぐ、船着場)とムロ(村)からきている説(確かに流下河川が多いかも?)・・・。地域を流れる霊峰神室山からの川「神室川(かむろがわ)」がなまって「まむろがわ」になり、この川の名前が地名になったという説・・・。いずれにしても地域の川が由来のようです。
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●鮭川(さけがわ)村の地名の由来
地域を流れる河川「鮭川」がそのまま地名になったという説・・・。なお「鮭川」と呼ばれたのは、古くから鮭が遡上する河川であったことに由来するといいます。
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●戸沢(とざわ)村の地名の由来
山々に囲まれた谷間の山村であり、アイヌ語のト(沼、狭い所?)の沢からきた説・・・。ここから戸沢藩の領地となるため「戸沢」と呼ばれた説・・・。戸沢藩の城下町が新庄という名前となり藩の名を残すために「戸沢」とした説・・・。んー、なんとも・・・。
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●大蔵(おおくら)村の地名の由来
ガケや傾斜地の多い所であり、ガケを表す「蔵」から大蔵と付けられたという説・・・。当地の七代目清水城領主の清水大蔵大夫義親(大蔵大輔)に由来する説・・・。んー、六代目までなんという地名で呼ばれていたのか知りたい・・・。
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●舟形(ふながた)町の地名の由来
かつては最上川最大の船着き場であったことに由来する説・・・。川船が転覆して丘に化したという「舟形の丘」に由来する説と、舟の形をした丘陵があったことに由来する説・・・。フナの形をした石が出たことにより古くは「鮒方」と書いていたという説・・・。由来の真偽は別にしてロマンある丘を見たい・・・。
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●最上(もがみ)町の地名の由来
最上峡のモモ(断崖)・カミ(上)が転じた説・・・。最も地域の上の地という意味の説・・・。東小国村と西小国村が合併して新町名を付ける時、県内にすでに小国町があったので最上町としたという説・・・。山形県で最も上に位置する当地が最上地方、最上郡と呼ばれるのも合点がいきますが・・・。なお、この地が小国と呼ばれたことは地域を流れる「最上小国川」の名が伝えています。
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5. 最上地方の地名 note2<最上地方の地名を読めますか?> 2013.08 |
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当社の職業柄いろんな地名に出会います。特に他の地域に行くと、通常とまったく違う読みかたをする地名との出会いも少なくありません。
しかし、地名にはそのどれもに先人たちの名付けの妙を感じます。なぜそう名付けたのか、なぜその漢字にしたのか、妄想?はさまざまに膨らみ、当時の土地の情景さえも見えてくるようです。
ここでは、最上地方の難読?おもしろい?と思われる地名を少し紹介してみましょう。(もし、ふりがなの間違いがある場合はお許し下さい。)
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●新庄(しんじょう)市の難読?地名 |
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1.楯腕ノ平(たてかいのたいら) 2.差首野川(さすのがわ) 3.指首野川(さしのがわ)
4.転坂(うどざか) 5.休場(やすんば) 6.痘越渡(いぼこいど) 7.赤屹(あかはげ)
8.上海旦(じょうかいだん) 9.備場(そなえば) .猫屋敷(ねこやしき)
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●金山(かねやま)町の難読?地名 |
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1.凝山(こごりやま) 2.日当(ひあたり) 3.持越(もっこえ) 4.蒲沢(がばさわ)
5.下野明(しものみょう) 6.朴山(ほおやま) 7.菅越(すがこえ) 8.三枝(さんし)
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●真室川(まむろがわ)町の難読?地名 |
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1.及位(のぞき) 2.差首鍋(さすなべ) 3.蟻喰(ありばみ) 4.西郡(にしこおり)
5.安久土(あくど) 6.甑山(こしきやま) 7.雁唐山(がんがらやま)
8.安楽城(あらき)※現在”大沢”になりましたが”安楽城”の地名が残ります。
9.西郡の山になんと”夫婦沢”と”育児沢”があります!
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●鮭川(さけがわ)村の難読?地名 |
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1.絵馬河(えまか) 2.日下(にっけ) 3.鵜頭坂(うとざか) 4.天狗森(てんがもり)
5.小反(こぞり) 6.牛潜(うしくぐり) 7.曲川(まがりがわ) 8.米(よね)
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●戸沢(とざわ)村の難読?地名 |
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1.神田(じんでん) 2.吹張(ふっぱり) 3.鞭打野(むちうちの) 4.畑ケ(はたけ)
5.金打坊(かねうちぼう) 6.出船(でふね) 7.鍋流シ森(なべながしもり)
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●大蔵(おおくら)村の難読?地名 |
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1.鍵金野(かんかねの) 2.藤田沢(とうださわ) 3.寒風田(さぶた)
4.平の下(ひらのした) 5.鼻欠倉(はなかけぐら) 6.葦草森山(いくさもりやま)
7.御城森山(おんじょうもりやま) 8.黄金温泉(こがねおんせん)の脇は苦水沢(にがみずさわ)
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●舟形(ふながた)町の難読?地名 |
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1.猿羽根山(さばねやま) 2.経壇原(きょうだんはら) 3.実栗屋(みくりや)
4.大谷(だいや) 5.西又(にしのまた) 6.鼠沢(ねずみさわ) 7.幅(はば) 8.野(の)
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●最上(もがみ)町の難読?地名 |
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1.一刎(ひとはね) 2.山刀伐峠(なたぎりとうげ) 3.万騎の原(まぎのはら)
4.窓塞(まどふたぎ) 5.鵜杉(うすぎ) 6.法田(ほうでん)
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●山形県内の難読?地名 |
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おまけで、山形県内のなかなか読めない地名のいくつかも紹介します。
1.左沢(あてらざわ) 2.手向(とうげ) 3.山家町(やんべまち) 4.遊摺部(ゆするべ)
5.入生田(いりゅうだ) 6.土生田(とちうだ) 7.清池(しょうげ) 7.文下(ほうだし)
8.梨郷(りんごう) 9.廿六木(とどろき) 10.寒河江(さがえ) 11.丹生(にゅう)
12.母袋(もたい) 13.局(つぼね) 14.海味(かいしゅう) 15.余目(あまるめ)
16.無音(よばらず)※文字と読みの響きの美しさに感動した筆者のお気に入りです。
17.歌丸(うたまる)
18. 日本国(にほんごく)※標高555mの山。山裾に小名部局、新潟県側に日本国麓局という郵便局!
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最上地方にも山形県にも、読みの難しい地名やおもしろい地名?もたくさんあり、特に山や沢に関する名前に難しい字や、隠し言葉のような当て字が多いようです。アイヌ語が語源?と思われるカタカナ交じりの地名も見受けられます。
あらためて地図帳を眺めてみてはいかがでしょうか、難読地名やおもしろ地名との出会いがあるかもしれません。
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幾度かの市町村合併が繰り返されても、残り続ける昔からの地名。難読といわれても、変な地名といわれても、こだわりを持ち続ける地域の人々。地名には地域に暮らす人々の土地への愛着を感じます。 |
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都道府県名から市町村名、更には集落や河川・山林などの地先まで、日本全国の地名が読めたらすごいと思いながら綴ったコーナーでした。 |
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<リンクサイトご紹介>
※別ウインドウで開きます
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<参考サイト> |
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名字の由来、地名の由来、地名と災害の検証など。
民俗学の広場ホームページ
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災害地名で検索すると数多くのホームページや記事が出てきます。興味のある方はどうぞ。 |
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5. 最上地方の地名 note3<地名がかつての災害を伝える?> 2014.10 |
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近年の人命を巻き込んだ災害発生で地名の由来が改めて語られ出しているようです。
特に、「かつて災害に見舞われてその地名が付けられたのでは?」という、地名の由来や言い伝えに焦点が集まっているようです。
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時代をさかのぼれば多くの自然集落が点在し、その集落一つ一つが何らかの名前で呼ばれ、集落内には住民が名付けた土地や川の名前があったでしょう。全国の市町村数の変遷です。 |
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年 |
市 |
町 |
村 |
計 |
参 考 |
明治21年
(1888年)
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−− |
(71,314) |
71,314 |
江戸時代からの自然集落との隔たりをなくする目的で行われた明治の大合併、市制町村制公布 |
明治22年
(1889年)
|
39 |
(15,820) |
15,859 |
明治の大合併後 |
昭和28年
(1953年)
|
286 |
1,966 |
7,616 |
9,868 |
戦後行政事務の能率的処理を図る規模の合理化の目的で行われた昭和の大合併 |
昭和31年
(1956年)
|
495 |
1,870 |
2,303 |
4,668 |
昭和の大合併後 |
平成11年
(1999年)
|
671 |
1,990 |
568 |
3,229 |
自治体の広域化で行財政基盤を強化して地方分権の推進に対応する目的で行われた平成の大合併 |
平成18年
(2006年)
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777 |
846 |
198 |
1,821 |
平成の大合併の措置終了 |
平成26年
(2014年)
|
790 |
745 |
183 |
1,718 |
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※参考:総務省ホームページ 市町村数の変遷と明治・昭和の大合併の特徴 |
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表で見るように全国で7万余りあった町村が新しい名前のまちになっています。しかし、合併されて住所が変わっても古くからの地名は各所に残り続けているのではないでしょうか。 |
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そして今、「古くの地名の文字には災害に関わる地形を示すものもある。先人達が身を持って名付けた地名を読み解き防災の心構えを。地名は災害の教訓を伝えている。」という話題が耳目に触れるようになってきました。 |
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それなら最上地方にも災害に関連した地名があるのだろうか、と気になりだしました。
名付けられた昔とは地形も変わっているでしょうし、むろん推測の域を出ない、いぶかしい想像によるものですが、災害に関わる意味を持つとされる地名漢字から、災害に関係があって名付けられたのではとおぼしき最上地方の地名を探してみました。
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※地名をクリックすると「Googleマップ(航空写真)」にリンクします。地形を確かめてみて下さい。 |
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災害に関わる意味
とされる漢字 |
最上地方に存在す
る地名 |
漢字が示すと言われる意味と最上地方の地名の地形 |
阿久戸・悪戸 |
真室川町安久土
(あくど)
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「アクト」は川沿いの水はけの悪い低湿地。当地は真室川と金山川の合流点で確かに水はけはよくなく、水害にも見舞われたのでは?養分の乏しい悪い土が語源かと思っていたが、当らずも遠からずか・・・ |
芋・妹・神など |
真室川町神ケ沢
(じんがさわ)
戸沢村神田
(じんでん)
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「イモ」や「ウモ(うめ)」は埋まる意。神ケ沢は金山川の蛇行部に囲まれる場所、神田は濁沢川(にごりさわがわ)の直下流の場所、洪水や土石流で埋められた場所か?また、いつも土砂で濁っていたので濁沢川か?神が付くので信仰に由来しているのかと思っていた・・・ |
梅 |
新庄市梅ケ崎
(うめがさき)
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「うめ」は埋まった、埋められた場所。当地は河川や沼などの水の合流部に広がる堆積地にも見え、やはり流下土砂で埋められた土地か?川のほとりの梅の木が目印の村かと思っていた・・・ |
浦・裏 |
新庄市金沢浦
(かねざわうら)
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「ウラ」は水辺、川や入り江。今はない大きな堰が流れていたか?単純に金沢町の裏地の意味か?松本堰という小川のような堰が流れる水田地帯ではあったが・・・ |
釜 |
真室川町釜淵
(かまぶち)
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「カマ」は水などでえぐられた地形。沢も多く川の蛇行(湾曲)も多い場所であり、川が土地をえぐったり堆積地を作ったりしたかも?釜のように大きな淀みの渕があったのかと思っていたが・・・ |
川内 |
真室川町川ノ内
(かわのうち)
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「カワノウチ」とは洪水などで川の中の島のようになった所。確かに川の蛇行に沿って突き出した土地で、洪水で孤島になったかも?昔は川の中州だったのかも・・・ |
熊・隅 |
大蔵村熊高
(くまだか)
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「クマ」は曲がりくねった状態。昔は端(隅)の部落だったか、曲がりくねった高台の部落だったのか?現地形からは推測できない。熊がよく出るので熊の名がついたのかと思っていたが・・・ |
倉・蔵 |
大蔵村日陰倉
(ひかげぐら)
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「クラ」は崩れる、崩れた場所。大蔵村にはクラの付く地名が多い。最上地方には「赤倉」も複数ある。ほとんど太陽の当たらない山だったので日陰と付いたのかと思っていたが・・・ |
栗 |
真室川町栗谷沢
(くりやざわ)
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「クリ」は崩れる、えぐられる。川で土地がえぐられ続けた場所か?栗がたくさん採れたので栗谷沢かと・・・ |
砂子・砂古・佐古 |
真室川町砂子沢
(いさござわ)
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「サコ」は谷川が流送した土砂。蛇行する沢の下流部の地であり、堆積した地か?砂子からきれいな清流のイメージがあったが・・・ |
塩 |
大蔵村塩
(しお)
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「シオ」は入り江のような地形。山と川に挟まれて細長に広がる当地は「シオ」に見えなくもない?新庄市や真室川町に「塩野」もある。山から塩でも採掘した地かと思っていたが、なるほど・・・ |
白 |
大蔵村白洲賀
(しらすか)
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「シロ」は洪水による土砂で埋まった地形。当地の下で河川が湾曲しており洪水時には水だまりとなって耕地の土砂堆積に悩まされたか?白砂の中洲になっていた場所かと思っていたが・・・ |
瀬見 |
最上町瀬見
(せみ)
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「瀬」は狭い「見」は水で、狭い川、谷川。河川の蛇行に沿うように両岸に張り付く集落地は洗掘と堆積により造られた地形か?川が浅く白波の立つ瀬が見える地と思っていたが、あながち的外れでも・・・ |
滝 |
真室川町大滝
(おおたき)
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「タキ」は流れが落下する所。最上地方に甚大な災害をもたらした昭和50年8月6日の豪雨で大滝駅に停車中の列車が土石流に襲われる災害に見舞われている。滝とつく地名は最上地方に多く存在する。大きな滝があったので大滝かと、鉄砲水を滝と呼んだのか・・・ |
滝ノ沢 |
大蔵村滝ノ沢
(たきのさわ)
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「滝ノ沢」の地名箇所は崖地が多く、崖崩れを起こしやすい。幾度もの土砂崩れの被害を受けてきたのか?一帯は今なお地すべり地帯。真室川町、舟形町、鮭川村などにも「滝ノ沢」の地名がある。雨が降ると山の至る所の枯れ沢に水の流れができる地形ではあるが・・・ |
竹 |
大蔵村上竹野
(うわたけの)
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「タケ」は崖の上、崖地。この地は崖の上といえば崖、高台といえば高台にも見える。この地から弥生式土器が出土しており、川沿いの崖の上だからこそ水害を避けて暮らせる居住適地だったのか?竹野、下竹野などなかったか?高い場所を指していたとは・・・ |
鶴・鶴田・鶴巻 |
新庄市鶴ノ子
(つるのこ)
鮭川村鶴田野
(つるたの)
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「ツル」は川が大きく蛇行する場所、づり落ちた地形、洪水で氾濫しやすい場所。当地の上流側と下流側に河川の合流点、加えて下流部の極端な河川湾曲を見ると、洪水に悩まされた地形であることが容易に想像できる。鶴が渡ってくる土地だとばかり思っていた・・・ |
萩 |
新庄市萩野
(はぎの)
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「ハギ」は土地が剥がれる、地すべり。当地を見ると地すべり地の立地ではない。ただ、集落の点在状態から昔は山に囲まれており、削って開墾したのか?隣接集落が「塩野」(しぼんだ地形の意)であることも気になる。一面に萩が生い茂る野原だったのかと思っていたが・・・ |
平 |
舟形町大平
鮭川村大平
(おおだいら)
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「ヒラ」は急傾斜地や崖地。現在は開墾が広がるが昔は細長い山間の里。急斜面とはいかないまでも傾斜地ではある。大きな平地とは言い難いか?山間に開けた平地だと思っていたが・・・ |
持・餅 |
金山町持越
(もっこえ)
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「モチ」は小盆地の傾斜地。当地は盆地というより河川堆積地のように見える。両側を川に挟まれた当地は洪水に悩まされたか?荷物などを持って川を越えたので持越かと・・・ |
谷地 |
新庄市谷地田
(やちだ)
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「ヤチ」は低湿地。当地は河川やいくつかの沼の流水の合流部。地形的にも窪地であり湿地であることは想定される?ちなみに当社の住所も「谷地田」であり、元々は湿地原野や田んぼが広がっていた。湿地を「ヤチ」、深くぬかる田を「ヤチタ」というので納得・・・ |
柳 |
大蔵村柳渕
(やなぎぶち)
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「ヤナ」は斜面「ナギ」はなぎ倒す。当地は地すべり山地?河川から遠い地で柳が植生する渕ではないようだ。川の淵に沿って柳が生い茂っているのでこの名がと思っていたが・・・ |
米 |
鮭川村米
(よね)
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「ヨネ」は大水や洪水などで川が押し流す土砂のこと。鮭川の極度な蛇行部の当地は幾度もの水害にあったかもしれない。すぐ傍は「米湿原」。米がとれるように付けた名前かとも思っていたのだが・・・ |
渡 |
鮭川村中渡
(なかわたり)
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「ワタリ」は大波。当地は河川の蛇行凸部の外側にあり、洪水の波が押し寄せて氾濫被害に遭ったのか?同地に「佐渡」の地名もあり舟の渡し場だったのかと思っていたが・・・ |
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※参考:民俗学の広場ホームページ 地名と災害 |
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災害に関わる漢字が地名に入っていても、必ずしも災害に関連する土地ではないかもしれません。災害など感じさせない美しい名前も多いです。でも、地名は先人が土地の景観や目印や特徴を捉えて付けたもの、あながち無関係とも言い難いところがあります。 |
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自分の住む地域の土地の名前、災害に関連するしないは別にして、後世に伝えるためにも、そのいわれを聞いてみてはいかがでしょうか。 |
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